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今まで演じてきた中で一番普通のキャラを初めて演じたときの苦労話

“私は某高校の演劇部OGですが、演劇部時代は文化祭の場で発表したり県大会に出場したり先生に依頼されて学年集会で劇をしたりなどそれなりに演劇部らしい活動はしていました。それだけにとどまらず学内でクリスマス公演をしたり卒業公演をしたりすることもありましたが、私が今まで演じた役たちはとにかく「個性的」でした。しかし高校最後の文化祭で演じた役だけは至って普通のキャラでした。今回はその役を演じたときのことをお話します。

私の在籍していた演劇部は公演の際は一から部員達で脚本を考えるいわゆるオリジナルストーリーが多かったですが、たまには部室にある脚本集を活用させようという話になり上田美和さんの「トシドンの放課後」という作品を取り扱うことに。この作品は主人公の問題児の女子生徒・あかねと不登校の男子生徒・平野が生徒指導室で出会い、共に苦悩を乗り越えて成長していくという内容です。私はあかねの担任の長山という真面目な新米の女教師の役でしたが脇役とは言え、思ったより台詞量が多いので驚きました。ですが私は比較的台詞を覚えるのが早かったので、台詞に関してはあまり問題ではありませんでした。実は今回私は元々音響担当でしたが、最初長山役だった部員が台詞を中々覚えず問題を起こして辞めてしまったのでピンチヒッターとして出ることになったのです。ちなみにあかね役も中々台詞を覚えずやる気が感じられなかったので、私と同学年の部員があかねの台詞を覚えることでいつでも役者交代が出来るよう調整していました。

先ほどもお話したように台詞に関しては問題ありませんでしたが、動きと表情が硬いままで練習中にそのことを指摘されることが多くて凹む日々でした。私は長山のように真面目な人間ではなかったので彼女の気持ちがあまり理解出来なかったのです。痛いところを突かれて悔しくて悔しくて涙した日もありましたしひたすら家や風呂場で練習していたことを今でも鮮明に覚えています。演劇部に在籍していて役作りがうまく出来ないことは致命的だと思いますが、ピンチヒッターで引き受けたとはいえすごく苦労しました。特にあかねに説教をする場面は台本にダメ出しがギッチリでした。それだけでなくあかねとのコンビネーションがなかなかうまくいきませんでした。そのため「タイミングがおかしい」というダメ出しが台本にちらほら残っています。おそらく先輩と後輩の関係(私が先輩であかね役の部員が後輩)でお互いに気を遣ったというのもあったのでしょう。

このように色々なことがありながら迎えた文化祭当日、少々ハプニングがありましたが無事に公演が終了しました。見に来て下さった観客の方々の拍手がすごく身に染みましたし、今までの中で一番いい演技が出来たと自分では思っています。裏方の部員達だけでなく友人達からも「良かったよ」と言われて演じて良かったと思います。この「トシドンの放課後」はウルッとくるストーリーですが、演じていて思わずウルッと来てしまいました。今まで数々の役を演じた中で一番何の癖もない普通のキャラだった長山ですが、思い返すと一番難しくやりがいのある役でした。”

幼少の頃の思い出、便所の神様

私は、保育園の頃の学芸会で便所の神様という、劇をして、便所の神様の役をやらせていただきました。私以外にももう一人便所の神様の役の子がいました。お札を渡したり、セリフは一言だけでしたが、この物語のビデオで、自分が話しているところを見ると5歳児ならではで、大きな声で、恥ずかしげもなく言っていて、幼かったのだなと再認識しました。けれど、演劇でも、この話ではこの神様の役は重要な役だったので、とても嬉しかったです。要となる役でした。

わたしはあれから20年以上たっているのですが、なぜかトイレには神様が本当にいるのではないかなと思い、掃除をしたりなど、しないとと感じる時があります。そのくらい、この絵本の印象が強かったのかもそれません。高校になり、演劇を少し、セリフを喋ったり、中学生の時にもあったのですが、あまりに下手すぎて落選してしまいました。発表の時などです。そう思うと、子供の頃のあの無邪気に大きな声で、言えたのが不思議なくらい、幼いって少し恐ろしいのかなとも感じるくらいの、元気さ、演技が下手でも堂々と言う姿が、今は人目を気にしてできない時もあるので、そんな幼い頃の自分が羨ましく思うこともあります。

この劇で、要となる役をいただき、その物語の本当の意味もわかっていなかったのかもしれないですが、大人になり、意味がわかってから読むと、この役をやらせていただけて良かったと思っています。主役などではありませんが、自分が思う大切なことと似ているのかなと思います。演劇の能力はなく、テレビで見る俳優さんたちを本当にすごいと思います。演技は奥が深いですし、恥ずかしがってもいけないし、声が大きくないといけない、ちょっとやはり私の苦手なことばかりです。

今、もし演劇をするなら、下手でも見てもらえる、優しい方々の前で…という形になっちゃうかなと思います。幼少の頃の思い出。思い出すとなぜか懐かしく、涙が出そうにもなりめすが、あの劇ができで、今にもつながっていて本当に良かったと感じています。

サミュエル・ベケットの『しあわせな日々』に魅せられて

が通っていた高校は美術系でしたが、芸術に敏感な人が多いためか、演劇が盛んでした。演劇部もあったのですが、みんな気の合う友だちと演劇グループを作り、文化祭にはたくさんのお芝居が上演されていたものです。同じく私もお芝居が大好きで、友だち数人とグループを作っていました。その中のひとりが、近所にある大学の演劇研究会のメンバーと知り合いになり、みんなで遊びに行ったり手伝ったりしていました。

美術系の学校ですから、立て看板や横断幕を描くのもお手の物で、大学生からも重宝がられるため、彼らのお芝居を特等席で観せてもらうこともしばしばです。そんなとき、演劇研究会の有志3人が、サミュエル・ベケットの『しあわせな日々』 を上演することになりました。サミュエル・ベケットなら、『ゴドーを待ちながら』が有名で、私も以前ある小劇場で上演されているのを観たことがあります。なんで『ゴドーを待ちながら』ではないのだろう?と疑問に思いっていたのですが、彼らの練習風景を見学させてもらうたび、『しあわせな日々』に惹き込まれていきました。

「今度の文化祭、『しあわせな日々』をやらない!?」

すっかり魅せられた私は、グループのメンバーに提案しました。どうしても演りたくなったのです。地面に埋まりながら日常を送る主婦のウィニー。こんな不条理劇がほかになるでしょうか?

「でも、『しあわせな日々』は登場人物が2人しかいないよ」
「うん、それに、ちょっと私たちでできるか、自信がないよね」

といったメンバーの意見で、結局ボツになりました。冷静に考えると、彼女たちの意見が正論です。そして私たちは、『ゴドーを待ちながら』を演目に選び、文化祭まで練習に励んだものでした。

今でも、『しあわせな日々』を観たときの衝撃は胸に残っていて、自分たちで演りたかったな、と思うことがあります。でも仮に上演していたとしても、高校生の段階であの世界をどれだけ表現できたかは怪しいものです。せめて『しあわせな日々』がどこかで上演されているのを観に行きたいと思うのですが、『ゴドーを待ちながら』と違ってほとんど取り上げられないのですよね。もう一度観たいなぁ。

「グッド・バイ・マイ」を演じたときのこと

私の通っていた中学校では毎年秋に行われる文化祭で3年生が演劇をするっことになっていました。私たちは「グッド・バイ・マイ」を行うことに決まり、出演者の募集、オーディションがありました。私は演劇には正直あまり興味がありませんでした。

しかし、2年前私の姉が「耳をすませば」の主役を演じ、演劇の好きな姉はそれはそれは見事な演技で観にきていた保護者からも、先生からも好評でした。そんな記憶がまだ抜けていない学校で私はほぼ無理矢理と言っていいほど役に立候補させられました。人数も集まっていなかったので断り辛く、中学校生活最後の思い出として少し登場する役でもしようかなと思っていました。すると、まさかの主要登場人物に抜擢されてしまいました。少し登場なんてものではなく舞台の最初から最後まで出ることになりました。内心、ちょっと嫌だな、やめたいなと思ってしまいましたが小心者の私には断ることも役を変えて欲しいとわがままを言うこともできず本番に向けて稽古が始まりました。

台本を読むと私が演じる役は将来暴走族に入っているというシーンがありました。ここが私演じる役の一番の見せ所でもあり、一番難しいところなんだろうなと素人の私でも分かりました。実際に稽古していてもこのシーンになると他のシーンとは比べ物にならない緊張と恥ずかしさでなかなかいい演技が出来ませんでした。

しかし、中学生の演劇だからそこまで誰も求めていないだろうと思っていました。そんな中、1人の演技が私の心に刺さりました。普段は大人しくてあまり人と喋っているのを見たことがない女の子の演技が本当に素晴らしかったのです。役としては本当に難しい役で、自分は死ぬと分かっているのに生まれていく役でした。この役にその子はなりきっていました。主役が飲まれてしまうほどの演技力、存在感、誰が観ても上手いとわかる演技に私も驚き、同時に感動しました。その子の演技を目の当たりにした時、私も観ている人を感動させられるような演技をしたい!と思い、台本を一から読み直し、役になりきれるよう努力しました。

そして本番を迎えました。順調に話が進んでいき、いよいよ私の見せ場のシーンがやってきました。観客の多さに練習の時とは比べ物にならない緊張感に押しつぶされそうになりましたがそこはみんなに迷惑をかけられない、大事なぶたいを潰してはいけないと思いました。そして、思い切って自分の出来る精一杯の演技をしようとそのシーンに臨みました。すると自分でも驚くほどの台詞の言い回し、身振りが出来ました。このシーンの写真が卒業アルバムに載っていましたがまるで別人のような顔をしていました。

そしてついにラストシーンが終わり出演者が全員舞台に上がり観客にお辞儀をすると大きな拍手、中には感動で泣いている保護者の方もいました。「あぁ、やってよかった。」そう思うと自然と涙が溢れてきました。それからの学校生活、文化祭の話が出るたび嬉しいような恥ずかしいような気分になりましたが、私の中では本当にいい思い出になりました。

照明さんと音響さんと。

今をさかのぼることはるかに昔、田舎の某公立高校で高校生時代の自分は演劇部に属していました。ちなみに、役者ではなくて裏方でした。音響も面白そうだな?、と横目で見つつ照明をいじっていました。

自分が在籍していた時代の演劇部は、一学年上の先輩にとても面白い脚本を書かれる方がいて、その方が役者兼監督兼脚本というマルチな才能を発揮されておりました。部員が10人いるかいないかの小さな部でしたので、小道具や大道具担当はおらず全員で道具は準備していました。

それくらい小さな部活動だったおかげで、裏方な自分も練習の最初に行われる発声練習には参加していました。残念なことに滑舌も声の通りも良くなった気はしないのですが、何かの役には立っていると信じたいところです。

田舎の公立高校で弱小部ということは、当然ながら体育館に設置されていた照明器具もそれ相応のレベルのものです。その時代でもボタンを押せば調節可能です、というはずのスイッチが、パチパチとレバーのように切り替える年代物でした。小さなステージだったため、ライトの数も少なく出せる色もそこまで多くはない。そんな学校でたまに舞台練習をしていました。弱小部と文化部だったこともあり、体育館は通常、運動部の方たちが使っていてあまり使えませんでした。

そんな環境でしたが、さすがに地区大会に出た時の舞台はそれなりに素敵な設備でした。学校の体育館と違って大きなステージ、音響もちゃんとした設備があり、照明もたくさん切り替えのスイッチがあって押せばオッケーの素敵な代物です。

練習の時間が短かったので、照明に関しては色合いだけを見てからぶっつけ本番的な感じでした。というより、全部がぶっつけ本番に近かったです。役者さんはステージの大きさと動きを合わせること、音響さんは機材の使い方とタイミングを覚える、照明は色合いとタイミングを覚える(裏方は台本を参照しながらでいいので台本に書き込んでいました)感じだけでした。
小さな部活でしたが、メンバーが濃くて楽しかったです。

前衛的すぎて、僕の黒歴史になった演劇デビュー。

高校生の時ワークショップで始めて高校演劇部に参加しました。高校二年生の時です。もともと演劇にはかなり興味があり、唐十郎とか「尖ってる」感じのする作風やどちらかというと観客をケムリに巻くような演劇がしたいと思ってお遊び感覚でやっている女子をハイブローな知識でとめどなく押し倒して、自分の理想とする前衛的な方向を目指す作風にするため脚本を担当し、舞台装置も担当して、約一ヶ月の期間、自分の全精力をそそぎ込みました。それはもういま思い出しても反吐が出るぐらい恥ずかしい思い出です。

自分はとにかく「前衛」という言葉だけの字面を勘違いして「よくわかんないものが尖ってるしかっこいい」みたいなノリというか誤った解釈で、ただただ凡庸でつまらない。あまりに笑止に耐えない劇団デビューになってしまいました。まず、ストーリーなんて、ダサいと思っていた僕は前衛的なものをめざすため、ほとんど筋らしい筋がない内容にしました。たったひとつの空間に、5,6人の劇団員があつまり、シャドーボクシングを始める。えんえんとシャドーボクシングをやりつづけます。そしてボクシングの果てに、お互いにクリンチを掛け合い、「天皇陛下万歳」と言いながら、殴り合います。そして30分それを続けたあと、イエスキリストのコスプレをしたキャストがあらわれて「左の頬を叩かれたなら右の頬を差し出しなさい」と麗らかに言い放ち、その場は感動的なムードに包まれます。誰もが殴り合うことをやめ、お互いを抱き合い、励まし、ときに涙し、自分たちがいかにおろかで無意味なことをやっていたんだろうと悟り、そして仲良く手をつなぎ、ジローズの「戦争を知らない子供たち」を歌い始めます。やがて歌い終わったのちに、どこからともなく核兵器が落とされ場面は暗転し幕が終わります。これが大まかなすじたてでした。

脚本をかいたときは、その手応えの良さに身震いしましたが、実際の本番でいよいよそれを再現してみたところ、凍るような沈黙と、失笑の渦に飲み込まれ、完全な黒歴史となりました。演劇は、もう二度とやりたくありません。

美少女軍団、本気でたぬきになる

“私の小学校での演劇部での話です。4年生から所属できて前期(半年)後期(半年)で好きな部に所属します。冬はそれなりに寒くなる地域だったので外での運動部は活動が難しくなります。それなので室内の文化系、またはバスケなどの室内運動部に分かれます。

演劇部なのでやはり女子が中心に集まりました。ただその年はいつにも増す美少女ぞろい。キッズモデル顔負けの美少女も多数所属していました。

ある日、文化祭に向けて演目をきめなければいけなくなりました。普通なら夢見るようなシンデレラとかなんとか姫とかファンタジーにあふれる人間が登場するものを考えそうですが、なぜかその時のメンバーで「動物の話を演じよう!」という事になったのです。

メンバーは女の子、それも美少女が多かった年なのに、みんなの話し合いで決まったのはなんとたぬきの話・・・。誰が言い出したかは覚えていませんが、数ある動物の中でもライオンの壮大さでもシカのスラッとしたイメージでもない野暮ったいたぬきの話です。しかも日本昔話系です。

私はドキドキしながら美少女軍団に目をやりました。きっと「私、かわいいから舞台に出られる演劇部に所属したのにそんなたぬきの話はイヤ」とでも言うのか、絶対反対するだろうとすでにドキドキがヒヤヒヤに変わっていました。しかし彼女たちが一斉に口にしたのは「たぬきの話、いいね!かわいいし」でした。

当時はジャージを着て練習していました。普通にみれば彼女たちの顔のかわいさとダサダサのジャージは完全にミスマッチでした。

本番当日、美少女たちもみな、狸の着ぐるみに狸のメイクアップを施し「しょ、しょ、しょじょじ~」と腹を叩きながら舞台を回るのはおかしくておかしくて吹き出しそうになりながら演じ切りました。いや、吹き出していましたがそれを楽しく踊っているように見せかけていました。

かわいくて純粋というのはある意味罪だわ、とその時美少女軍団より少し年上だった私の脳裏に強く刻まれた不思議な瞬間でした。”